【小田井宿】−小田井宿は元々戦国時代に築かれた小田井城の城下町として成立しましたが、天正10年(1582)、徳川家康の支援を受けた依田信蕃の侵攻により小田井城は落城しその兵火により城下町も荒廃したと思われます。天正16年(1588)、付近の集落から住民と産土神として長倉神社を勧請し改めて町割され、江戸時代に入り中山道が開削されると宿駅に指定され、宿場町として整備されました。小田井宿は北国街道との合流した追分宿(長野県軽井沢町)と岩田村藩の藩都(岩田村陣屋の陣屋町)である岩田村宿の中間に位置していた事から宿泊や休息で利用する人が少なく半農半宿が強いられたようで江戸時代後期でも旅籠が5軒しか無く小規模な宿場町だった事が窺えます。本陣は代々安川家が歴任し文久元年(1861)に皇女和宮が14代将軍徳川家茂に降嫁として江戸に向う途中には安川家で休息し昼食をとったとされ、現在も客室棟は当時の姿を良く留め御代田町指定史跡に指定されています。 脇本陣は屋又左衛門家(建物の遺構無し)、問屋は尾台家(明和9年:1772年の大火で焼失後に再建)が担い何れも御代田町指定史跡に指定されています。小規模な宿場町だった事から明治時時代以降も大きな発展が無く近代化による改変が少ない為、現在も本陣、問屋、旅籠など主要な建物が現存する貴重な町並みが残されています。史跡も多く産土神で鎮守でもある長倉神社・諏訪神社合殿の社叢には推定樹齢200〜300年の古木が多く御代田町指定天然記念物に、藁で製作した神馬を町内で練り歩く「小田井の道祖神まつり」は御代田町指定無形民俗文化財にそれぞれ指定されています。永正年間(1504〜1520)に法印幸尊が開山したと伝わる宝珠院の境内にはシダレザクラとアカマツの古木がある両木共に御代田町指定天然記念物に指定されています。
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