大間越街道: 岩崎宿(十二湖)

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概要・歴史・観光・見所
岩崎宿概要: 岩崎宿戦国時代は大浦(津軽)氏と檜山安東氏(津軽安東氏の後裔で秋田県能代市の檜山城を居城として秋田県北部と津軽地方の一部を所領していた)との境界線に近くお互いの戦略的な拠点となっていました。菊池氏は現在の秋田県鹿角郡出身で戦国時代以降津軽家に仕え、岩崎関所番として当地に赴任し、菊池館(一国一城令により弘前城以外は廃された為、菊池館も前後して廃城になったと思われます。)で守備していたとされその後は鉄砲役や手廻組、深浦奉行所勤務などを歴任しています。竜王寺の境内に建立されている菊池刑部の墓碑は、11代菊池新太郎が深浦町奉行として赴任してきた際に先祖の追善供養の為に建立したもので昭和51年(1976)に深浦町(旧岩崎村)指定史跡に指定されています(竜王寺自体は明治12年の創建である事から、当初は菊池家の氏神だった八幡神社の境内に建立されていたと思われます)。江戸時代に入り大間越街道が開削されると津軽家や松前家の参勤交代で利用された為宿場町と整備され、その後参勤の道が変更されると日本海海運の中継地や漁船の拠点として発展しました。

十二湖: 十二湖十二湖は旧岩崎村を代表する観光地で宝永元年(1704)に起こった岩館地震により大崩山が山津波を起こし、付近にあった小川を堰き止め33個の湖沼が形成されたとされます。伝承によると、十二湖の近くには容姿を平凡だったもの気立て良い初姫(姉)と、才色兼備を備えた花姫(妹)という2人の姉妹が住んでしました。ある時、岩木山(1625m)と白神岳(標高:1231.9m)から結婚の申し込みがありました、内心姉妹とも標高が高く山姿も美しい岩木山に嫁ぎたいと思っていましたが、あからさまに言うことが出来なかった為、母親がそれを見かねて、寝る前に蕾の花を2人の枕元にそれぞれ置いて先に花びらを咲かせた方が岩木山に嫁ぐことを決めました。ある朝、初姫(姉)の方が先に花を咲かせましたが、まだ初姫(姉)が眠っていたことから花姫(妹)が自分の蕾と交換してあたかも自分の方が早かったと偽り岩木山に嫁ぎ、姉は渋々白神岳に嫁いだました。十二湖その後、その事実を知った初姫(姉)は悔しさの余り不仲となり白神岳は岩木山に対して背を向けるようになったと伝えられています。又、別の伝承では、岩木山が容姿だけで妹である花姫を婚約者として選んだ事から初姫は自分の容姿を悲観し、十二湖の大池に身投げしたとも伝えられています。当時の岩木山は標高的にも信仰的にも津軽地方では絶対的な優位にありましたが、旧岩崎村では上記の伝承から「下の神の山」と蔑んだ別称で呼んでいたようです。現在は白神岳や十二湖はユネスコの世界遺産に登録され多くの観光客が訪れるようになり、初姫の恨みも幾分か薄まる何処か勝ち誇っているのかも知れません。

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