奥州街道: 五戸宿

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五戸宿
五戸宿
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奥州街道:五戸宿・歴史・観光・見所
五戸宿概要: 五戸宿は古くから周辺の中心地となっていた地域で、江戸時代に入ると南部藩の五戸通(江戸時代初期、南部藩では領内の行政区域を「通」と称し代官が派遣される48区域に別け、最終的に25区域に統廃合した。)として三戸郡13ヵ村、北郡下15ヵ村、1万4170石(幕末)を統括しました。南部藩は寛永12年(1635)に代官所(現在の建物は文久年間の図面を元に再建されたもの、表門は五戸町指定文化財)を設けこの任に当たらせ下役には御給人(在郷武士)の江渡家(天明年間建築、国重要文化財)が勤めています。代官は文禄4年(1595)に三戸南部家から五戸支配を命じられた木村家が歴任し、菩提寺である高雲寺には初代木村杢助秀勝の墓碑が建立されています。五戸宿は新丁、新町、荒町、馬町、上大町、下大町、川原町の7つの町で構成され下大町が五戸宿の中心地として代官所がありました。明治2年(1689)に会津藩(福島県会津若松市)の後継である斗南藩が立藩すると藩庁が一時五戸代官所に設けられ多くの会津縁の人々が五戸宿に訪れています。又、宿場外れに鎮座する八幡宮には当時の五戸代官の木村秀晴が愛人である「菊」が身籠った事が世間に表ざたになるのを恐れ処刑、その事を知った正妻である「菊」が哀れと思い供養塔(五戸町指定史跡)を建立しています。

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