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碇ヶ関宿(平川市)概要: この地は敵対する南部藩との藩境に近かった事もあり弘前藩では軍事的最重要拠点の1つとして考えられていました。特に弘前藩主津軽家の参勤交代で羽州街道が利用されるようになると碇ヶ関御関所は領内3箇所(大間越、野内、碇ヶ関)に設けられた関所の中でも最も整備された関所となりました。碇ヶ関宿には御関所の他にも湯ノ沢番所、折橋番所の2つの番所が設けられ、宿場内には枡形や空掘といった軍事施設、藩主の宿泊施設である御仮屋(他藩では陣屋に相当)などが設けられました。又、弘前藩が定めた九浦(青森湊:青森市・鯵ヶ沢湊:鯵ヶ沢町・深浦湊:深浦町・十三湊:五所川原市・蟹田湊:外ヶ浜町・今別湊:今別町・碇ヶ関関所:平川市・大間越関所:深浦町・野内関所:青森市)でもあり重点的に整備されてます。伊能忠敬の「沿海日記」には「碇ヶ関入口に弘前藩の大番所があり、よく普請され、前面と脇には川を配し、厳重な造りになっている。奥州で一番の番所と思われる。」と記され、江戸時代中期に訪れた古川古松軒は「東遊雑記」に「武器を飾り厳重なること中々箱根の御番所などの及ぶことにあらず」と記していて碇ヶ関関所の堅固さが窺えます。現在は旧街道を国道が重なる所が多く、拡幅工事や付け替え工事などで当時の雰囲気が失われつつあります。
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碇ヶ関宿 |
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