白河街道 :三代宿

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概要・歴史・観光・見所
三代宿(郡山市)概要: 三代宿は会津藩と白河藩(後に二本松藩)の藩境で難所である勢至堂峠を控え、中野方面の分岐点でもあった為に重要視され、会津藩の口留番所が設けられ(当初は勢至堂宿にありましたが慶長年間:1596〜1615年、三代宿に移された)、本陣(1軒)や問屋(2軒)などが設置されました。本陣は宝暦6年(1756)の大火後に郷頭だった二瓶家が就任し以来代々世襲し、脇本陣は設けられませんでしたが「吉野家」や「高砂屋」、「松屋」などの宿場の上役が脇本陣に準じた機能を果たしました。口留番所は主に人物改めや荷物改め、勢至堂峠の警備が役割で江戸時代末期には4人前後の役人が詰めていたとされ、本陣である二瓶家の脇に番所が設けられました。享和2年(1802)には白河城から鶴ヶ城に向かう伊能忠敬も白河街道を利用して三代宿で宿泊しています。三代宿の戸数は時代を通して前後しますが概ね100戸前後で約半数が宿場に係わり合いの深い、旅籠や茶屋などに従事し残りの半分は半農で隣の宿場までの運送業の補佐などを行っていました。宿場外れに設けられた一里塚は会津城下の基点から7里目の一里塚で高さ約4m、周囲約33m、現在は1基のみですが白河街道の遺構として貴重な事から昭和50年(1975)に郡山市指定史跡に指定されています。鎮守である高井神社の創建は不詳ですが古くから高井原山の山頂に鎮座し天正2年(1574)に現在に遷座しました。境内にあるイチイは推定樹齢300年、樹高21m、郡山市内屈指の大きさで貴重である事から平成8年(1996)に郡山市指定天然記念物に指定されています。戊辰戦争縁の地でもあり宿場内にある正福寺(真言宗室生寺派)の境内には会津戦争に参加した新撰組隊士「松本喜次郎」が葬られ墓碑が建立されています。
三代宿
三代宿:町並み
三代宿:町並み
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