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檜原宿(北塩原村)概要: 案内板によると「 奥州と接する重要な宿駅として検断役が配置されていた。石高40石と米の取れない山間僻地でしたが、金山稼動や山林業と宿駅に関わる荷役などで生計を支えていました。」とあります。檜原は古くから交通の要衝、金の産出地として軍事的にも重要視され、戦国時代には度々会津に侵攻してきた伊達輝宗に対し穴沢信徳が檜原に配されました。天正13年(1585)に伊達政宗の侵攻により穴沢氏が滅ぼされると檜原城を築城して後藤孫兵衛を城代として派遣しています。江戸時代に入り米沢街道が開削されると宿場町として多くの人々や物資の往来が増え、さらに金山が発見されると飛躍的に発展します。特に米沢藩領に接し、難所である檜原峠を控えている事から藩境付近には檜原口留番所、宿場内には会津藩の検断所が設置されました。明治時代に入り宿場制度が廃止され、国道121号線が開削されると急激に衰退し、明治21年(1888)の磐梯山の大噴火により壊滅的な被害を受け、さらに川が堰き止められた事によって檜原湖が出現すると当時の宿場町の大部分が湖底に沈む事になりました。水没前に移転した検断屋敷(旧松本家住宅)が現在地にさらに移設され現在は「會津米沢街道檜原歴史館」として一般公開され檜原宿や米沢街道、金山などの資料が展示されています。
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檜原宿 |
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[ 付近地図: 福島県喜多方市 ]・[ 関係リンク: 喜多方市 ] |
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