千国街道(長野県・新潟県)

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概要・歴史・観光・見所

【松本宿】−松本宿(長野県松本市)は松本藩の藩庁、藩主居館が置かれた松本城の城下町として発展した町です。松本城の天守閣が国宝に指定されている他、武家屋敷が数棟残され、中町には店蔵が軒を連ね、当時の町並みを見る事が出来ます。松本城下には千国街道の他、善光寺西街道(北国西街道)、塩尻宿(長野県塩尻市:中山道の宿場町)への脇道への分岐点でもあり多くの物資が集積されました。明治時代以降も当地域の中心地として発展した為、洋風建築の遺構も数多く点在しています。

【成相新田宿】−成相新田宿(長野県安曇野市)は千国街道の開削に伴い慶長9年(1604)に宿場町と整備されました。戦国時代に武田家によって開削された旧千国街道と熊倉道との分岐点でもあり交通の要衝として多くの物資が集められ毎月六斎市と九斎市が立ち周辺地域の経済的な中心として栄えました。

【保高宿】−保高宿(長野県安曇野市)は街道沿いに町屋が配されているものの、地名の由来でもある穂高神社の存在感が大きく、門前町的な要素を含んでいます。穂高神社の創建は不詳ですが古代の氏族である安曇氏が当地に移り住んだ際、氏神である穂高見命(宇都志日金拆命)を祀ったのが始まりとされます。穂高神社の格式も高く延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には名神大社として記載され、信濃国(長野県)三之宮、明治時代以降は国幣小社に列しました。

【池田宿】−池田宿(長野県池田町)は松本藩に属し御他屋と呼ばれる役所が設けられ周辺の行政の中心となりました。宿場内には池田学問所が設けられ内山真弓などの人材を輩出しています。明治時代から昭和初期にかけては養蚕や製紙業によって繁栄しました。街道沿いには大型の町屋建築が点在し往時の繁栄が窺えます。

【大町宿】−大町宿(長野県大町市)の地名の由来は仁科氏の祖神である「仁品王(垂仁天皇の弟)」が当地に館を構えて支配した事から「王の町」と呼ばれ、それが転じて「大町」になったと伝えられています。中世は仁科氏が支配し江戸時代は松本藩に属しました。池田宿と同様に藩の御他屋が設けられ周辺の行政の中心となり重要視され、千国街道の宿場町であると共に地勢的に継荷宿になった事から物資の集積場となり藩の塩蔵や麻蔵も併設されました。街道沿いは近代化により古い町並みは失われつつありますが、時折町屋や土蔵なども散見されます。鎮守である若一王子神社には三重塔が建立され異彩を放っています。

【海ノ口宿】−海ノ口宿(長野県大町市)は木崎湖の湖畔にあった宿場町です。周辺には中綱神社や西海の口堂などがあります。

【沢渡・佐野宿】−沢渡・佐野宿(長野県白馬村)の周辺には佐野村中道祖神や東徳寺(高野山真言宗金剛峰寺の末寺、明治初期には佐野学校として利用された)、佐野坂西国三十三番観音像(白馬村指定文化財)、鬼石(西行法師腰掛の石)、沢渡南原庚申塚などがあります。

【飯田・飯森宿】−飯田・飯森宿(長野県白馬村)の周辺には沢渡北原庚申塚石仏群や犬川端庚申塚石仏群、飯田犬川端庚申塚石仏群、飯田北村道祖神、北原庚申塚石仏群、飯森十王堂、飯森神社石仏群、飯森神社(祭神:罔象能売命、菅原道真)、空峠庚申塚石仏群、平川神社(白馬町の産土神、祭神:誉田別尊、息長足比売令)、長谷寺(明徳2年創建、領主である飯森盛春の正室光姫が帰依、山門や本堂などが白馬村指定文化財)などがあります。

【塩島新田宿】−塩島新田宿(長野県白馬村)の周辺には霧降宮切久保諏訪神社(松本藩4大社・祭神:建御名方命、八坂刀売命、手力雄命、八縣宿祢命、天照皇大神・本殿は白馬村指定文化財)等があります。街道から外れた山中には古くからの農村形態が現在でも非常に良く残されいる青鬼集落があり国重要伝統的建造物群保存地区(名称:白馬村青鬼伝統的建造物群保存地区)に選定されています。

【千国宿】千国宿(長野県小谷村)は越後国(新潟県)と信州国(長野県)との国境付近にあり、松本藩の藩境でもあった為、千国宿には千国番所(口留番所)が設けられ人や荷物の出入りを管理しました。千国街道と善光寺道との分岐点でもあり交通の要衝として多くの物資が集められ盆と暮には「千国市」と呼ばれる市が立ち周辺から多くの民衆が集まり賑わいました(善光寺道の道中に青鬼集落があります)。明治維新後に街道制度が廃止されると明治2年(1869)に千国番所も廃止され、さらに麓に国道が通ると重要性が失われ衰微しました。

【来馬宿】−来馬宿(長野県小谷村)は当地区の中心的な存在で明治時代以降は役場や学校なども建てられていましたが、明治44年(1911)の日本三大崩落の一つに数えられた「稗田山の崩落」により死者23名、家屋と田畑の流失は七十余町歩に及び壊滅的な被害を受けました。鎮守である来馬豆平諏訪神社の社宝である菊散檜垣双雀鏡は鎌倉時代に制作され、青銅製、直径12.3cm、小谷村指定文化財に指定されています。

【大網宿】−大網宿(長野県小谷村)は越後国(新潟県)と信州国(長野県)との国境付近にあり、大網峠という難所を控えていた事から軍事的な要地として重要視され、戦国時代には武田側の最前線の拠点となっています。江戸時代に入り千国街道が開削されると大網宿は継ぎ立が行われ、番所や高札場も設けられていました。鎮守である大網古宮神社の例祭では伝統芸能である「お江戸漫才」が奉納されます。

【山口宿】−山口宿(新潟県糸魚川市)は越後国(新潟県)と信州国(長野県)との国境付近にあり、大網峠という難所を控えていた事から軍事的な要地として重要視され、戦国時代には上杉側の最前線の拠点となっています。江戸時代に入ると糸魚川藩の藩境でもあった事から山口関所(口留番所)が置かれ人や荷物の出入りの管理が行われました。

【糸魚川宿】−糸魚川宿(新潟県糸魚川市)は千国街道と北陸道(北国街道)の分岐点であると同時に糸魚川藩の藩庁、藩主居館が置かれた糸魚川陣屋の陣屋町として発展しました。外港である姫川港は北前船の寄港地として発展し、ここで陸揚げされた日本海側の特産物や海産物が千国街道を利用して信州の内陸部まで運ばれていきました。北陸道(北国街道)は加賀藩など北陸諸藩が参勤交代で利用し、糸魚川宿は加賀藩前田家の宿泊地となった為、利用時は家臣など2千人前後を受け入れ賑わいました。

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