北陸道: 出雲崎宿

   街道の空(ホーム)>新潟県の街道北陸道>出雲崎宿

出雲崎宿
北陸道: 出雲崎宿
[ 場所: 新潟県三島郡出雲崎町 ]・[ 関係リンク: 出雲崎町:歴史・観光・見所 ]
北陸道: 出雲崎宿 北陸道: 出雲崎宿 北陸道: 出雲崎宿 北陸道: 出雲崎宿
北陸道: 出雲崎宿 北陸道: 出雲崎宿 北陸道: 出雲崎宿 北陸道: 出雲崎宿
概要・歴史・観光・見所
出雲崎宿概要: 戦国時代に入ると出雲崎の重要性が増し、春日山城の城主上杉謙信により陣屋が構えられました。江戸時代に入ると、出雲崎港は新潟港、寺泊港と共に佐渡島への渡航場となり、特に佐渡島の佐渡金山で産出された金銀の荷揚げ地を出雲崎港に限定された事から幕府から重要視され元和2年(1616)には幕府の代官所が設けられました。出雲崎代官所は羽黒町石地屋から尼瀬稲荷町など後数回移転を繰り返し(宝暦13年:1763年に高田藩(本城:高田城)領になった際は羽黒町に陣屋が置かれた)、文化5年(1808)に現在の地に移ると明治維新まで引き継がれ、戊辰戦争の際には新政府軍が侵攻する前に火を放ち全て焼失したと伝えられています。初代代官として就任した高田小次郎は、「出雲崎」と「尼瀬」の2町に分断し出雲崎町では橘屋、尼瀬町には京屋と名主を置き、支配体制を整えました。橘屋は江戸時代後期の名僧として知られた良寛和尚の生家で、当地の鎮守で和銅4年(711)に創建したと伝わる石井神社の祭祀を歴代司ってきたと伝えられて、現在屋敷の跡地には良寛堂が建立されています。周辺には良寛和尚縁の史跡が点在し、良寛が出家修行した光照寺や、妹の「みか子(橘屋3女、歌人)」が入った浄玄寺などがあります。出雲崎は佐渡金山の金銀の荷揚げ地、佐渡島の渡航場だけでなく、北陸道の宿場町、北前船の寄航地として多くの物資の集積場としても発展し、人々の交流も盛んに行われました。江戸時代初期には松尾芭蕉が奥の細道行脚の際に出雲崎宿を訪れ「荒海や 佐渡によこたふ 天の河」の句を残しています。江戸時代末期には佐渡島に渡航を試みた吉田松陰も船待ち宿だった笠原家に宿泊しています。出雲崎町の町並みは平成8年(1996)に国土交通省(建設省)による歴史国道に認定されています。
街道の空(ホーム)

 北陸道・宿場町:
弥彦神社・門前町福井宿稲島宿岩室温泉寺泊宿直江津港出雲崎宿椎谷宿新潟宿
 
 ※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、「街道の空>羽州浜街道・北国街道・三国街道・越後街道・米沢街道・北陸道・出羽街道」」は「新潟県の歴史」、「郷土資料辞典−新潟県」、「日本の城下町」、「パンフレット」、「案内板」、「関係HP」を参考にさせていただいています。