北陸道: 椎谷宿

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椎谷宿
北陸道: 椎谷宿
[ 場所: 新潟県柏崎市 ]・[ 関係リンク: 柏崎市:歴史・観光・見所 ]
概要・歴史・観光・見所
椎谷宿(柏崎市)概要: 元和2年(1616)、堀直政の4男である堀直之が大坂の陣の功により当地に5500石が与えられ、堀直景の代にさらに加増され合計1万石になった事を受けて諸侯に列しました。元禄11年(1698)の堀直宥の代に領地替えが行われ沼垂郡、三島郡、蒲原郡に領地がまとめられ際に椎谷藩が立藩、正徳5年(1715)、堀直央が藩庁となる椎谷陣屋が築かれ、周囲には陣屋町が整備されましたが1万石と石高が少なく、堀家は定府大名だった為に、陣屋の規模や武家屋敷の数も限定的でした。ただし、越後三大馬市(春日新田 椎谷 栃尾)に数えられた馬市の際には賑ったとされ馬喰宿が設けられています。戊辰戦争の際には新政府方に与した事から水戸藩から攻められ椎名陣屋を巡る攻防戦が数度にわたり繰り返され、陣屋をはじめ陣屋町は兵火により焼失し殆どの建物が失われています。椎名陣屋の跡地は新潟県指定史跡に指定されています。

椎谷観音堂: 椎谷観音堂は弘仁2年(811)に神々しく光る聖観音菩薩を海中から引き上げた事を仏意と悟り天拝山に御堂を設けて安置したのが始まりとされます。古くから雨乞いに御利益があるとして信仰されると同時に、本尊の聖観音菩薩が海中から発見された事や天拝山が海上からの目印になった事から海運業者や漁業関係者から篤く信仰され絵馬などが奉納されていました。江戸時代に入ると歴代椎谷藩主から庇護され陰陽の弓や定紋蒔絵弓箱などが奉納されています。現在でも、戊辰戦争の兵火を免れた椎谷観音堂(明和7年建築、柏崎市指定文化財)をはじめ数多くの文化財を所有しています。越後三十三観音霊場番外札所。

香取神社: 香取神社は堀直宥が椎谷藩を立藩した際に、旧領である下総国の一宮で延喜式神名帳に名神大社として記載されていた香取神宮(千葉県香取市)の祭神を勧請し創建された神社です。創建の経緯からも陣屋町とっては特別な存在で歴代藩主から崇敬庇護されています。又、椎谷観音堂と共に海運業者や漁業関係者から篤く信仰され絵馬や鳥居が奉納され柏崎市指定文化財となっています。戊辰戦争の際は火災は免れたものの、鳥居などに弾痕の痕跡が残されています。

華蔵院: 華蔵院は弘仁8年(817)に密韶和尚により創建された寺院です。江戸時代には椎谷藩主堀家の祈願所として庇護されました。現在は椎谷観音堂の別当寺院として越後三十三観音霊場番外札所の納札所となっています。

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