棚倉街道

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概要・歴史・観光・見所
棚倉街道概要: 棚倉街道は水戸城下(茨城県水戸市)と棚倉城下(福島県棚倉町)を結ぶ街道で、主に棚倉藩の参勤交代で利用されています。古代の官道として古くから常陸国内での主要幹線の1つで、戦国時代には常陸の大名だった佐竹氏が南奥羽進出の軍事道として利用されました。

【白河宿】−下野国(栃木県)と陸奥国(東部:東北地方)の国境に位置し、古代の関所である白河の関が設置され古くから要地として重要視されてきました。中世は白川氏の居城である白河城(小峰城)の城下町として発展し、寛永4年(1627)に丹羽長重が入封すると改めて白河藩が立藩し、藩庁として白河城(小峰城)が大改修され現在に通じる町割が計画されました。白河宿は奥州街道と、白河街道、棚倉街道が分岐する交通の要衝だった事から、幕末の戊辰戦争の際には激戦地の1つとして新政府軍と奥羽越列藩同盟軍との攻防戦が行われ白河城(小峰城)も落城し白河宿も大きな被害を受けています。

【棚倉宿】−棚倉は寛永2年(1625)に丹羽長重が棚倉城を築城して以降、城下町として発展しました。長重は織田信長の重臣の1人で豊臣政権下では123万石の大大名として名を馳せた丹羽長秀の嫡男でしたが、長秀が死去すると秀吉の画策により4万石の小大名に格下げられ、関ヶ原の戦いで西軍に与した為に改易となりました。その後、復権し最終的には白河藩10万石を領するまでになり、為政者の意向さえなければ人材的には優秀だった事が窺えます。その後、棚倉藩は短期間で藩主が交代し、戊辰戦争の際は奥羽越列藩同盟に参加した為、城下は戦禍にまみれおおきな被害を受けています。

【町屋宿】−町屋宿は棚倉街道の宿場町で、本陣は平山家が歴任に江戸時代末期には醸造業を務めるなど宿場の有力者として知られていました。現在でも街道沿いには大型な町屋建築が点在し往時の雰囲気を留めています。

【太田宿】−太田宿は中世、常陸国で大きな影響力をもった佐竹氏の居城である太田城の城下町として発展した町です。佐竹義宣の時代に居城を水戸城に移しましたが、太田城には父親義重の隠居城として城下町が維持されました。江戸時代に入ると水戸藩(水戸徳川家)の代官所が設けられ、引き続き当地域の行政の中心として重要視されました。街道沿いには古い町屋や近代建築が点在し、周辺には佐竹氏の菩提寺である正宗寺や祈願所である佐竹寺(北向観音)、水戸光圀の隠居所である西山荘、水戸徳川家の墓域である瑞龍山などがあります。


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