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奥州街道: 平舘宿
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平舘宿
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奥州街道:平舘宿・歴史・観光・見所
平舘宿(外ヶ浜町)概要:
平舘の地は古くから玉石と呼ばれる磁器のような石が取れる所として有名で順徳院(第八十四代天皇)や菅江真澄(江戸時代の紀行家)などが玉石について記しています。宿場には人夫10人、継立馬3頭と比較的小さな町でしたが幕末の弘化4年(1847)に異国の捕鯨船から外国人(オランダ人)8人が平舘に上陸してから状況が一変し、嘉永元年(1848)には幕府の命を受け弘前藩(本城:
弘前城
)により嘉永2年(1849)平舘台場が築かれ7門の砲台が設置され、同じく平舘陣屋(御仮屋)が築かれました。平舘台場(青森県指定史跡)は扇形の土塁を築き、死角がないようように7方向に砲門を設けた西洋式砲台場で、土塁は高さ約2.3m、幅約10m、南北長さ約80m、東西長さ約11m、背後には2箇所の出入り口があり、弾薬や兵員などが搬入されたと思われます。寛永5年(1852)に訪れた吉田松陰も見学したとされ「東北遊日記」にその様子が記載されています(親友である宮部鼎蔵と共に東北地方の海防調査を理由に東北地域を訪れた。その際、長州藩からの許可が下りず脱藩したことは有名。)。又、宿場の外れには弘前藩4代藩主津軽信政によって整備された推定樹齢300年以上の黒松並木が続いてます。
奥州街道宿場町:
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