出羽街道: 小俣宿(村上市)

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小俣宿
小俣宿
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小俣宿 小俣宿 小俣宿 小俣宿
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概要:歴史・観光・見所
小俣宿概要: 小俣宿(新潟県村上市)は出羽国と越後国の境界線に接し、江戸時中期までは村上藩(村上城)と庄内藩(鶴ヶ岡城)との藩境であった事から重要視され、当初は村上藩の番所が設けられました。案内板によると「 慶長3年(1598)、村上頼勝、加州小松より入封され当地は村上領となる。庄内領国境の原海、岩石、小俣、雷に番所が置かれた。宝永6年(1709)、村上藩が減封され当地は天領となる。番所役人浅野加左ェ門は廃所と共に村上に帰藩した。以後は海老江、大山、三本木、水原代官所の支配を受け、天明8年(1788)、米沢藩預り地となり、現朝日村塩野町代官所の支配を受けること80年にして明治維新を迎える。」とあります。戊辰戦争の際は出羽街道を北上した官軍との激戦地の1つとなり、小俣宿の多くの民家が焼失、現在の町並みはその後に再建された明治時代の建物とされ落ち着いた古民家が軒を連ねています。小俣宿から程近く、新潟県と山形県の県境には「日本国」と呼ばれる標高555mの低山があり、名前の由来は諸説あり伝承によると蜂子皇子(崇峻天皇の第三皇子、出羽三山開山)が父親である崇峻天皇が蘇我馬子により暗殺された事で、その追っ手から逃れる為に日本海を舟を使い出羽国まで辿り着きました。その後、この山に登り、ここから南が日本国であるから、追手もこちらまでは追及しないだろうと語った故事から日本国と呼ばれるようになったと伝えられています。もう一説にはこの山で捕まえた鷹を将軍に献上したところ、余りにも見事な鷹だった事から将軍が日本一の鷹と褒め称えた事から日本国に名付けられたと伝えられています。もう一説にはこの山に古代の柵が設けられ、この柵が日本国と蝦夷の境だった事から日本国と名付けられたとも云われています。小俣宿の鎮守と思われる白山神社の境内には推定樹齢1200年、樹高39m、幹周10.2mの杉の大木があり「小俣白山神社の大杉」として平成元年(1989)に新潟県指定天然記念物に指定されています。
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