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船渡宿概要: 船渡宿(福島県会津坂下町)は只見川の川待宿として栄えた越後街道(会津街道)の宿場町です。地名の由来はその名の通り只見川の舟渡があったからで、宿場内には新発田藩(本城:新発田城)の藩主溝口家が参勤交代で船渡宿を通過した際、休んだと伝わる「殿様の腰掛け石」が残されています。慶応4年8月28日、戊辰戦争の際は只見川を最終防衛ラインと考えた会津軍は藩主松平容保の命で萱野権兵衛(萱野長修:会津藩家老、1千5百石、会津戦争が終結すると、藩主松松平容保に罪が及ぶのを防ぐ為、一切の責任を取り自刃又は斬首され、萱野家の菩提寺である天寧寺に葬られています。戒名:報国院殿公道了忠居士)一隊や白虎隊など船渡宿周辺に布陣し10日間新政府軍に砲撃を与え足止めに成功しました。しかし、鶴ヶ城を取り囲んでいた新政府軍の一隊が船渡での苦戦の知らせを聞いて越後街道を北進した為、会津軍が挟撃される形となり総崩れとなり、塩川や喜多方、鶴ヶ城に撤退しています。現在でも街道沿いには民家が軒を連ね落ち着いた町並みが見られます。
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船渡宿 |
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船渡宿:町並み |
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