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山内宿概要: 山内宿(新潟県新発田市)は越後街道(会津街道)の宿場町で越後街道(会津街道)の中では新発田藩(本城・新発田城)の最南端で会津藩領と接していた事から山内口留番所が設置されました。案内板によると「本城を警備するのが城門であり町木戸とするとき、藩境を警戒するものは藩境の番所である。新発田領はその数が少ない方であり、代表的なのが山内番所である。・・・・」とあります。江戸時代初期、会津藩の商人が新発田藩領の商人に蝋燭の搬出を止めた事から新発田藩領の商人が塩の搬出を会津藩領の商人に対して行った為、大問題となり会津藩は幕府に抗議を行い新発田藩が窮地に追い込まれました。新発田藩主溝口家の家臣井上久助は藩の窮地を救う為、全く関係が無かったにも関わらず、自ら鶴ヶ城に出頭し全責任は自分にあると主張して万治3年(1660)に山内口留番所付近で斬刑となっています。町並みは街道沿いに寄棟、平入の古民家が並び旧宿場町の様子が随所に見る事が出来、番所前には宿場町特有の枡形も見られます。山内宿の鎮守と思われる神明社の創建は不詳ですが江戸時代には既に鎮座していた古社で、天照皇大神が祭神として祀られています。社殿は明治12年(1679)に造営されたもので拝殿は切妻、桟瓦葺、平入、桁行5間、梁間3間、正面3間向拝付、本殿は寄棟、鉄板葺、平入。
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山内宿 |
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山内宿:町並み |
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