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新谷宿概要: 新谷宿(新潟県阿賀町)は越後街道(会津街道)の宿場町で、村上藩(本城・村上城)の藩主の本陣(安倍家)が設けられ新発田藩(本城・新発田城)の藩主も休息で利用していました。宿場から離れた山中には長さ20m弱、幅約1.5mの石畳が残されていますが、宿場内に設けられた一里塚は破却されています。町並みは街道沿いに寄棟、鉄板葺(旧茅葺と思われる)、平入の民家が建ち並ぶ落ち着いた雰囲気、行地宿からは人気が無い為に安心感が募る印象を受けました。文化11年(1814)には十返舎一九が越後街道(会津街道)を旅した際、新谷宿を通過しており、著書である「諸国道中金草鞋」で駕篭かき(駕籠を担いで人を運ぶのを職業とする人)との掛け合いをユニークに描いています。鎮守と思われる熊野神社は延宝3年(1675)に勧請されたのが始まりとされ、伊弉諾尊、伊弉冉尊、姫神が祭神として祀られています。社殿は入母屋、桟瓦葺、平入、桁行3間、梁間2間、正面1間向拝付、外壁は真壁造、素木板張、向拝木鼻には獅子、欄間には龍の彫刻が施されています。新谷寺(真言宗豊山派)の創建は貞治4年(1365)、本尊は不動明王、伝承によると永享5年(1433)に金上氏の侵攻により滅亡した新宮氏の首塚が境内に築かれたと伝えられています。又、三川鉱山に近かった事から鉱夫やその家族、「友子同盟の墓」が建立されています。
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新谷宿 |
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新谷宿:町並み |
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