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横川宿(日光市)概要: 横川宿の成立年は不詳ですが会津西街道が開削されると下野国と陸奥国会津地方の接する場所として重要視されるようになります。特に寛文元年(1661年)は会津地方側にあった糸沢宿から関所が移されるなど軍事的拠点としても重要視され戊辰戦争の際では横川宿を巡る攻防戦が3日間に渡り繰り広げられ、住民はこぞって会津藩に味方したとされ、横川宿を突破されると陸奥国に入る為、会津勢の攻勢はすさまじく新政府軍も苦戦したと伝えられています。横川宿は周囲が山に囲まれている山村の宿場町で宿賃以外には林業などを生業として天明8年(1788)の記録では家屋31軒と比較的小規模で、大きな変動が緩やかに時が過ぎていった印象を受けます。明治時代初期の明治11年(1878)6月26日にはイギリス人女性紀行家イザベラ・バードも日光から大内宿、会津城下に向かう際、会津西街道を利用し横川宿では昼食を採り山王峠を越えるのに備えています。現在も静かな町並みが形成され当時の宿場町の雰囲気が残されています。史跡としては横川関跡や如意輪観音堂(日光市指定有形文化財)、宝篋印塔(2基:日光市指定有形文化財)などがあります。
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横川宿 |
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[ 付近地図: 福島県会津美里町 ]・[ 会津西街道:歴史・観光・見所 ] |
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横川宿:観光・見所 |
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