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関山宿(会津美里町)概要: 関山宿は会津西街道の宿場町で古くは火玉峠と呼ばれた氷玉峠や大内宿に繋がる大内峠を控え会津城下の入口に当たる拠点として重要視され、寛永18年(1641)に周辺にあった上小松村と合併し宿場町として整備され、本陣も設置されました。慶応4年(1868)の戊辰戦争の際には栃沢集落と共に戦場となり新政府軍である薩摩藩(鹿児島県鹿児島市)・黒羽藩(栃木県大田原市前田)・中津藩(大分県中津市)・今治藩(愛媛県今治市)・人吉藩(熊本県人吉市)・肥前藩(佐賀県佐賀市)・芸州藩(広島県広島市)・宇都宮藩(栃木県宇都宮市)・大田原藩(栃木県大田原市)の各藩を会津藩が向かえ討ち、一時優勢に転じていましたが関山宿まで退いています。その後、一進一退の攻防戦が繰り広げられますが9月4日には会津藩は関山宿から撤退し鶴ヶ城まで退いています。その際、関山宿の殆どの建物は兵火の為に焼失し大きな被害を被り、宿場の外れには戦死した会津藩兵40人の墓碑が建立され激戦の悲劇を今に伝えています。宿場の南側入口には大山祇神社、西側入口には熊野神社が鎮座し、中央付近には一生に一度だけの願いは叶えると伝わる関山観音(会津三十三観音霊場第24番札所)があり信仰の篤い集落です。街道沿いには戊辰戦争以降に建てられた土蔵や家屋が建て並び当時の宿場町の雰囲気を残しています。
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関山宿 |
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[ 付近地図: 福島県会津美里町 ]・[ 会津西街道:歴史・観光・見所 ] |
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関山宿:観光・見所 |
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