会津五街道概要: 会津若松は古くから大きく開けた土地柄で中世からの領主だった芦名氏は南奥羽一帯を支配する大大名に成長した事から東北の中でも重要な都市の1つでした。芦名氏が衰退した後も、蒲生氏や上杉氏など大大名が治め、寛永20年(1643)からは徳川家の一族である保科正之が初代会津藩主となっています。会津藩は23万石ながら伊達氏、佐竹氏、上杉氏などの外様大名を牽制するため幕府から重要視され、会津城下に繋がる街道は政治、軍事的にも整備する必要がありました。正之は積極的に街道の整備を図り、一里塚、松並木、宿場町を設置し慶安2年(1649)には大町札の辻を基点として「白河街道」、「二本松街道」、「越後街道」、「会津西街道(下野街道)」、「米沢街道」の5街道を幕府に報告しています。
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